まるでカバンが走っていくように、入学したばかりの小学生が小走りに校門に入っていきます。
4月は、入学生や新入社員に限らず、クラス替えがあったり配置換えや転勤があったりして、誰もが新しい環境のなかでスタートする月。「新しい」という言葉に励まされて、みんながいい時間を生きることができるようにと、心からエールを送りたくなります。
すでに旧聞に属しますが、この3月、高校入試の合格者発表の翌日にあたる19日、『市民タイムス』に「2022公立高校紹介特集」が、4面にわたって掲載されていました。そこには、中信地区の公立高校18校の学科やコース、学級数や学校行事・部活動などが紹介されていますが、一番大きく掲げられているのは、各校の教育目標でした。
それぞれの学校が一番大切にしたいと考える、生徒に求める人間像や、それを達成するための方法が、「これこそがうちの学校だ !」という「売り」として力強く謳われています。
たとえば、「自学・自立・共生」(H高)、「自主性・積極性の創造」(T高)、「学び合い、励まし合い、未来につながる力を育てる」(K高)、「練磨創造・自ら学び考え行動する」(MK高)、「三大精神『質実剛健であれ』『大道を闊歩せよ』『弱音を吐くな』」(A高)などです。
そういうなかで、2つの高校の教育目標が気になりました。
「『質実剛健』『地域の先達』『世界に飛躍』」(MN高)と「自治の理想の追求による骨太なリーダーの育成」(MF高)です。
この2校は、他の高校とは違って、生徒が社会でどのような役割を果たしてほしいかということにまで踏み込んで言及しています。「先達」「リーダー」という社会における役割を、「あるべき姿」として生徒たちに求めているのです。
「なんか、違う」、自分はこれらの命題を見て、心がザワザワしてしまいました。
特に、(「地域の先達」は「質実剛健」や「世界に飛躍」とともにあるからまだしも)「リーダーの育成」という言葉で着地して、それを唯一の目標とする命題には、強い違和感を持たざるを得なかったのです。
そもそも学校は、その学校が理想とする人間像に向けて、児童生徒を「教育」「指導」するところなのでしょうか。どんな人間になるかは、生徒自身が決めること、学校が口を出すことではないのではないでしようか。
教育基本法はその前文で、
「我々日本国民は、たゆまぬ努力によって築いてきた民主的で文化的 な国家を更に発展させるとともに、世界の平和と人類の福祉の向上に 貢献することを願うものである。 我々は、この理想を実現するため、個人の尊厳を重んじ、真理と正義を希求し、公共の精神を尊び、豊かな人間性と創造性を備えた人間の育成を期するとともに、伝統を継承し、新しい文化の創造を目指す 教育を推進する」
と謳っていますが、学校という組織が提示できるギリギリの線は、このような抽象性において理想的な人間像を提示することまでです。これが限度です。(「伝統を継承し」のところについては、日本の伝統的な価値観の押し付けになるという異論があります。その通りだと思います。教科「道徳」が子どもたちに求めている徳目には、そういう危惧が間違っていないことを証明しています。この国の教育行政は、「いつか来た道」に戻ろう戻ろうとしているようです)
それにしても、この高校の先生方は、社会のリーダーになってほしいと願って、生徒たちと向き合っているのでしょうか。また、生徒たちはこのような自覚を持って勉強しているのでしょうか。そのような教育目標に向けて意識的に努力している先生や生徒などいるはずもなく、この目標は単なる「お題目」で、まつたく意味がないものだと信じたいところですが、もしそうでないとしたら、その浅薄な人間観、薄っぺらなエリート意識に、驚かされます。
リーダーは、「おれはリーダーだ」と自分で宣言することによって、リーダーになるのではなく、あの人はリーダーだと人に認めてもらうことによって、はじめてリーダーたり得るのではないでしようか。自らリーダーなどと思っている人間に、おそらく、ろくなリーダーはいません。
そんなくだらない意識はキッパリと捨てて、謙虚に、自分と向き合いながら、真摯に自らの人間性を深く耕す、そういう勉強をしてほしいと、思います。
大上段に振りかぶり、やたらと力が入っている教育目標が多い中で、「普通じゃないからオモシロイ」(S高)、「あなたの学ぶ意欲に応えます」(MT高)の2つに、自分は好感を持ちました。こういう力まないものはいいですね。これらの命題は、肩の力を抜きながらも、考えるといくらでも広がっていく深さを備えていて、生徒自身に考えさせるものを蔵しています。
「教育」とは、教え込むことではなく、子どもたちが自ら学ぶことを後押しすることだと、思いますが、各校の教育目標には、それぞれの学校の教育に対する考え方が表れていて、そこには、その学校の現在の「力」が、おのずと表出されているようにも思いました。
老いの繰言
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