大江健三郎という5歳年上の小説家を、「奇妙な仕事」以来、ずっと「追っかけ」のようにして読んできました。大江の語る言葉が、現実と親和しようとする自分を思いとどまらせるものとして、いつもあったからですが、しかし、それでいながら、「爪の垢」ほどにも近づくことのできない遠いはるかな存在であることもまた思い知らされてきた作家です。
最近は彼の寡作もあって、少し遠のいていましたが、コロナ禍に時間を得て、久々に「『自分の木』の下で」を読みました。再読です。
これは、「永い小説家の生活で初めて、私は子供の皆さんに向けて一冊の本になる分量の文章を書きました」と言うように、子ども向けに書いたもので、自らの子ども時代からのユニークな体験を語りながら、その時その時に人生の本質的な命題を発見していく大江の生き方が書かれていて、改めて彼が尋常な人間ではないことを再認識させるものでした。
だが、それとともに、今回際立って強く自分の心に残ったのは、大江健三郎の親の、息子に対する対し方でした。
たとえば、母です。
大江は、畑に生えている楓の幹が幾股にも分かれているところに板を敷いて、本を読むことのできる「家」を造ります。そこは、彼が、しっかりと読んだ方がいいと感じながらなかなか続けて読むことのできない難しい本を読む、特別の場所でした。
カエデの木に造った小屋で本を読んでいる私に、母親は畑をたがやしたり、種を蒔いたり、野菜を穫り入れたりしていながら、なにもいいませんでした。お隣に下宿していた女先生が、あの上で居眠りして落ちると危ないから、とあなたのお母さんにいったら、あの子は自分であのようにしているのですから、と相手にされなかった、と憤慨していたほどです。しかし、カエデの本の周りは小さな石も拾って、柔らかく土をならしてあったように思います。
また、父は、驚くべきことに、息子である健三郎を「きみ」と呼んでいます。
私のことを父はきみといい、それも子供仲間で私がからかわれる理由でした。
そして、そんな父は、ゴムまりを買う金をねだる息子(戦時下、日本軍の占領によってアジアの南洋諸島のゴム原料が日本に入るようになり、じゃんけんで当たった子にゴムまりの購入券が与えられるようなことがあったそうです。それに当たった大江は、先生から聞いたとおりに「日本の兵隊が勇敢で強く、シンガポールを守るイギリスの軍隊を破り、日本の兵隊さんは優しく、ゴムマリを集めて送って来てくださった」と話して、父親からゴムまりを買うお金をもらおうとします)を、以下のように拒否していました。
父は仕事の手をやすめると、私をジロリと見ました。そしてこういうことをいったのです。どこかの国の勇敢で強い兵隊が、この森のなかまで攻め上って来て(父は裏座敷の、川に面した桁に母が掛け渡している、干し柿の列を見あげました)、そのどこかの国の兵隊も優しくて、干し柿を集めて自分の国の子供らに送ってしまうとしたら……きみはどう感じるかね?
今回再読して、大江健三郎の生き方以上に、その親のあり様により心が動かされたのは、自分が今、日本の子どもたちはかわいそうだと、切実に感じているからだつたと思います。
老いの繰り言 2022.4
コメント