ある会議でのことである。
ある人が、自分も知っている○○のことを、「彼は、学校ではあまり勉強に身が入らず、先生たちに面倒ばかりかけていたようだが、今は、小さいがある会社の社長になって、立派にやっている」と話した。
これを聞いて、「よかったなあ」と思いながらも、自分は、少しの違和感もまた持った。
「社長」、である。社会人として立派にやっていることと、社長であることとは、あまり関係がないのではないか、社長になることが立派にやっている根拠だとしたら、それは少し違うと思ったからである。
それで、つい言ってしまった。
「社長であることが、社会人として立派にやってることだ、ということじゃないですよね。社長でなく、社員として立派にやっていても、いいんですよね」
その人も、そんなつもりで言ったのではなく、かつて手を掛けさせた○○が、今は元気にちゃんとやっていることが嬉しくて話してくれたのだろうが、へそ曲がりの自分は、下衆の勘繰りで言わずもがなのことを言って、その場を気まずい雰囲気にさせてしまった。
小さな土建会社をやっていた親父たちが、島々谷の谷川の中流にある小さな砂防ダムの補修工事を請け負った。その頃、高校生だった自分は、そこにアルバイトに行った。
河原から適当な大きさの石を拾って、「ネコ」(一輪車)で運ぶ仕事である。
真冬だった。雪氷が凍りついている石を掘り出し、ネコに五つか六つ載せる。それだけで、既に手は冷え切ってジンジンする。石のゴロゴロした川原は、ネコを押していくのも大変で、長靴からも冷たさはシンシン浸みこんでくる。体中が冷えきって、手も足も指先がちぎれるほど痛い。かじかんだ手に、倒れそうになるネコを立て直す力はなくて、ネコを倒してしまうことも度々だ。それを一日中やっていた。
そのダムの脇には、「建設大臣竹下登建之」と掘ってある大きな記念碑が建っていた。
だが、自分は、それに強い違和感を持った。竹下大臣は、金は出したかもしれない。だが、本当に、ダムを作ったのは、親父たちだ。竹下登に、この手足がちぎれるような感覚がわかるか ?
思いっきり威容を誇示するような大きな石碑は、とても空疎でグロテスクなものにしか見えなかった。
以上、職業・仕事にかかわる二つの違和感の思い出である。いずれも、理不尽な屁理屈かもしれないが、そんな「青さ」は、歳をとっても失いたくないなあと思ってもいる。
老いの繰り言 2022.2
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