あけましておめでとうございます。
新しい年を迎えたということだけで、なんだか、自分まで新しい自分になったような気がするのは、不思議ですね。
木下順二に、「鶴の恩返し」という民話をもとにした「夕鶴」という戯曲があります。
矢を射られて苦しんでいた鶴が、自分を救ってくれた男「与ひょう」のところに、人間に姿を変えて「つう」となって嫁ぎます。そして、恩返しに、「鶴の千羽織り」という立派な布を織ります。
しかし、織っているところは絶対見てはいけないという約束を破って、与ひょうは機屋のなかを覗いてしまいます。そこには、つうの姿はなく、鶴が懸命に機を織っていたのです。見られたことに気づいたつうは、与ひょうに対する自分の思いと、与ひょうの自分に対する思いを、断ち切って、鶴になって空に帰ってしまいます。
かつて、この戯曲を読んだ時、こんな質問がでました。
「過ちをするのが人間です。なぜつうは、与ひょうの、一回だけの過ちを許さずに、帰ってしまったのでしょう。つうも与ひょうも、お互いをあんなに好きなのに」
思いがけない問いにとまどいましたが、その時、ふと思いました。
「それは、生きるということの一回性、一回コッキリということを示唆しているのではないだろうか。
あらゆることは一回だけであり、けっして二回はない。人を殺めて、ああ、申し訳ない、もう絶対にしないと、いくら後悔しても、亡くなった人は生き返ってはこない。人間は弱いから、もう一回、もう一回やりなおそうと、自分に言い聞かせるが、しかし、あらゆる物事は、一回コッキリだ。つうは、人が生きるということの一回性を教えてくれているのかも知れないね」
今年も、こんなことを思い出しながら、新しい年を迎えました。
かけがえのない「今」を、決して「もう一回はない」今を、後悔することのないよう大切にして暮らしていきたいなあと、改めて思っています。
皆様にとって、本年が、ご健康でご多幸でありますよう、心から祈念申し上げます。
老いの繰り言 2022.1
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