「今のこの時代に、こんなことが ! 」と、驚くようなことがあるのですね。
その一つ。小学校一年生の、教科「道徳」の教科書に「かぼちゃのつる」という教材があります。
かぼちゃがどんどんつるを伸ばしていきます。自分の畑からはみだし、他人の畑まで通って、道にまでつるを伸ばしていきます。蜜蜂や蝶々が注意をしたり、西瓜が「ここは僕の畑だよ」と訴えても、かぼちゃは「そんなことかまうものか」と聞く耳を持たないどころが、反抗的になって抵抗したりします。
そうやってつるを好き放題に伸ばしていった結果、かぼちゃのつるは犬に踏んづけられ、挙句の果てには人間の曳く荷車の輪にちょん切られて、「いたいよう、いたいよう、あーん、あーん………」と泣くはめになって、物語は終わります
かぼちゃのつるのようであっては、いけません、という話です
教科書に載っている教材ですので、多くの先生たちが指導案をネットで公開していますが、授業のねらいは、異口同音に、以下のような、内容です。
「人の注意を素直に聞くことや、わがままをしないで節度ある生活を送ることの大切さ」
「周りからの注意を素直に受け入れることやわがままを抑えることの大切さに気付かせながら、自分の過ちや欠点を反省し、わがままをしないで節度ある生活をしようとする態度を育てる」
これを見て、自分は、なんという痩せた授業であることか、長野県の先生たちには、こんな授業はしてほしくないなあと、思いました
なぜなら、この教材には、決定的な弱点があって、とても道徳の教材とは思えないからです。
「かぼちゃのつる」にあるのは、単純な善悪二元論(かぼちゃのつるは全て悪く、他の者は、全ていい)を前提にした、自業自得という因果応報(悪いことをすると、報いを受ける。報いを受けなくても、悪いことは、それだけで悪いことなのに)と暴力の肯定(悪いことをする者には、暴力を与えてもいいのだ)です。
こんな教材で、モラルを説かれる日本の子どもたちは、ほんとうに、可哀そうです。
それにしても、人間の内面は、このような教材を学ぶことによって、よくなっていくものでしょうか。
ヘルマン・ヘッセに「シッダールタ」という小説があります。シッダールタという求道者が悟りの境地に至るまでの苦行や経験を描いている小説ですが、シッダールタは、友人の再三の勧めにもかかわらず、釈迦の弟子となること拒絶します。
《 釈迦は、教えられて今の境地に到達したのではない。自ら悩み苦しんで、悟りを得た。私も、お釈迦様の教えを理解することはできる。しかし、それは、自分がそれを実現できることとは違う。やさしくしなければいけないとわかることと、やさしいこととは全然別だ》
このように、「わかる」ことが「できる」までに行き着く、その距離を充填することは、他人がどうにかできることではなく、どうしても自力によるしかありません。子どもたち一人ひとりが、日々の体験を通して迷いながら自分の価値観を形成していく、このこと以外にはないのです。
子どもたちに、十分な、「子どもの時間」をあたえたいなあと、強く思う所以です。
老いの繰り言 2021.11
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